現在、様々な分野で活用される傾聴ですが、その歴史はどこから来ているのでしょうか。
遡ること2400年以上も前、紀元前4世紀の頃には哲学者ゼノン。あるいは孔子などが下記のような言葉を残しています。
<ゼノン>
”我々は耳は二つ持っているのに、口は一つしか持たないのは、より多くのことを聞いて、話す方はより少なくするためなのだ”
(出典:ディオゲネス著『ギリシア哲学者列伝』より)
<孔子>
”之を聴くに耳を以てすることなくして、之を聴くに心を以てせよー無聴之以耳、而聴之以心ー”
(出典:荘子「人間世篇」より)
この2つは傾聴そのものの意味を伝えているものではありませんが、「お話を聴くことの大切さ」について言及したものになります。
2400年前と考えると遥か遠い昔のことに思いますが、当時の人も今の私たちと変わらずに、相手との関わりや「聴く」ことは大きな関心事だったのではないでしょうか。
ちなみに、傾聴では門構えの「聞く」ではなく、あえて「聴く」の字をあてますが、一説に、この聴くという字には「小さな声に耳を傾ける」という意味もあるそうです。どれほど小さな声かというと、人の耳では受け取れないほど小さな音であるということで、少し霊性を帯びた意味もこの聴くには込められています。現在の、心や耳を澄まして聴く、集中して聴くという意味にも繋がる語源ではないかと思います。
私たちが心に思うこと、考えることは本当に様々です。対話を通して相手を知ること、自分を知ること(知ってもらうこと)。それは時代を超えた普遍的なテーマなのではないでしょうか。
※画像:wikipediaより引用
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